去る10月23日(日)に実施した佐伯市民大学第10回講座、内山節著「『資本主義を乗り越える』に学ぶ」の報告。
今回はレジュメでの講義と、カードを使ったグループワークを実施した。受講生は17人と少なかったが、いつもと同様、大変熱心に講義やグループワークに集中していたのが印象的だった。
目次
講座内容
<資本主義の原理>
資本主義の原理とは「貨幣をいかに増やすか」の一言に尽き、そのためには倫理も道徳も必要なく、悪質経営、労働搾取、投機の横行、社会格差の増大などにより、社会の腐敗を促進してしまう。皮肉なことに、結局は国家の介入による経済の規制や管理(ケインズ経済学)、さまざまな社会保険、社会保障制度の整備や、労働組合の確立などの反資本主義的な動きにより、資本主義は自滅を逃れて延命してきたという矛盾を抱えている。
<分離された労働>
また、かつては共同体の暗黙のルールで制約されていた経済の地域内流通や交換が、近代化で弱体化し、経済とか労働が自由に展開するようになり、生活の中に埋め込まれていた労働が生活から切り離され、何らかの目的のための手段として使われるようになると、非正規雇用や長時間労働が問題になる。
究極的には「自分たちの労働を手段にしていいのか」、つまり、労働時間を何時間減らすかが問題ではなく、「この労働でいいのか」と問い直さなくてはならないのだ。
<ほどほどの市場経済>
経済学者のカール・ポランニーは資本主義と同時に伝統的な、資本主義とは言えないような経済(伝統的な農業など)も同時進行する「複合経済」が実際の経済だと主張する。
そして今、市場との結びつきは持ちつつ、資本主義の原理には従わない「ほどほどの市場経済」、言い換えると貨幣の増殖の最大化を目的とせず、労働や経済の価値をお金で計れないものに置いていく動きが活発になっている。
その例として、地域のキャパシティに寄り添ったバイオマス発電、高齢者らが楽しみながらお小遣い稼ぎをするためのローカル事業などを挙げ、近江商人の「三方良し」精神のような、近代以前の考え方を取り入れながら手段としては現代のものも使えるものを使っていく伝統回帰の発想が鍵になるのだ。
仏教の伝来で、日本にだけ大乗仏教が定着したのは、厳しい自然と共に農業をしながら助け合って生きてきた人々の利他精神があったからで、個人の利益追求は日本では定着しないと内山氏は考える。
都市でもソーシャルビジネス、社会的企業、フェアトレードの発想にも通じるような伝統回帰の農業を目指す人々が増えていることに今後の経済のありかたのヒントがあるのではないだろうか。
グループワーク
後半はグループワークで、本に共感したこと、自分は違うと思ったことをカードに書いてもらい、最後にカードをホワイトボードの上で整理して、その傾向をみてみました。
共感する部分は多岐にわたりましたが、違いとしては「個人の利益の追求は日本では定着しない」という考え方に疑問を持つ人が多かったようでした。内山先生に12月に質問したいことを書いたカードも、11月の講座の質問カードと一緒にして整理する予定です。
まとめ
今回のテーマは哲学者内山節先生の著書『資本主義を乗り越える』(農文協)でした。これまでの講義はスライドを使用していましたが、12月の内山先生の講座では恐らくレジュメの講義になると思うので、それに慣れるためにも10月と11月の講座はレジュメを使うことにしました。
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