講座報告12 未来社会のデザインを語ろう

去る12月11日(日)の佐伯市民大学第12回講座、哲学者 内山節先生による「未来社会のデザインを語ろう」の内容の報告は以下の通りです。

 

目次

未来へのヒントとしての過去

7世紀に建造された法隆寺は約1300年経った今も度重なる修復を経て今も建ち続けている。心柱の寿命から計算するとあと1300年は持つという。

一方で近代建築は押しなべて鉄筋コンクリート造だが、せいぜい100年の寿命だ。ここに持続可能性のヒントがある。

 

「正しい過去」を捉えられるのか

明治政府は江戸時代を否定してこそ成り立った。しかし1970年代以降の研究から江戸時代が評価されだす。

つまり、刻々と変化する時代において、現在の問題意識から読みとられた過去を過去と呼んでいるのであり、その過去が正しいかどうかも変遷していく。

 

欧米の社会観と日本の伝統的社会観の違い

欧米では生きている人間の社会が社会だが、日本の伝統思想では、根本的には自然と人間の関係が社会をつくり、生者と生者の関係が社会をつくり、生者と死者=この社会の基盤をつくってくれた先輩たち(江戸時代までは地域の先人たちを先祖と呼んでいたのが、明治以降は家の先祖にとってかわった)との関係が社会をつくり、自然・生者・死者と神仏の関係が社会をつくると考えられてきた。

すべてのものを生みだしているのは「関係」であるという関係本質論。

 

日本の神仏について

宗教(Religion)や信仰(Belief)は明治の翻訳語であり、日本の神仏は特別な信仰ではなく、暮らし、労働、共同体のなかに埋め込まれた「思い」や「願い」だった。お地蔵さんに手を合わせ、食事の前に「(命を)いただきます」と言う習慣などだ。

 

「経世済民」(世を治め、民を救う=儒教用語)から「経済」へ

国家の体制維持思想としての経世済民であり、国富、軍事力を増大させる理論として生まれた経済学。ゆえに明治以前の庶民にとっては、それらは関心の外にあった。庶民が追求していたのは「深めること」、「極めること」。結果として江戸時代は当時の欧米並みに暮らしが豊かだったということも最近の研究でわかってきた。

 

日本における個の形成

欧米における個は水平的な個の形成であり、他者との違いを比較するが、日本における個は垂直的であり、自己を極めることにある。

 

資本主義とは

他者と競い、勝ち抜くことをとおして利益を増大させる戦いの社会を形成する。

ゆえに勝ち抜いても他者との共存、共生が生まれない。儒教的な中国や韓国もそうした社会。実は地域は発展も衰退も必要ないのであり、必要なのは「極める」「深める」ことで形成される「関係の社会」

 

これからの地域デザインについて

建築デザイナー(個)の作品づくりで荒廃した現在の街の景観。農村を見れば、人と山、田畑、川の関係が道を作り家を作り、景観となっている。

つまり、関係がつくりだした農村景観。「どのような関係がいかなる地域、いかなる労働、経済をつくるのか」を過去と現在を比べて考え、もし現在の地域、労働、経済の在り方を変えなくてはならないとすれば、まず、どういう関係を立て直していくのかというところから始まるのだ。

 

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