講座報告14 野生の力で今を生き抜く

去る2月26日日曜、午後3時からル・パンダハウスにて、佐伯市民大学第14回講座が実施されました。

講師ははるばる山形からお招きした羽黒山伏の星野文紘先達です。

 

当日午前中は星野先達と共に尺間神社を参拝し、午後は城山登山を実施しましたので、その際の写真もご覧ください。

 

尺間神社

 

城山登山

 

 

以下は星野先達のお話のまとめです。

目次

いつの世も命がテーマ

住んでいる人は気が付かないかもしれないが、よそから来た人にはわかる。佐伯は品の良い街だ。

城山の頂上でほら貝が水を欲したので水を与えるととても良い音を出した。水は命であり、また食べ物も命の源。

縄文時代は文字はなかったが、狩猟採集で得た食べ物に日常(ケ)的に感謝の祈りをささげていただろう。弥生時代にコメが日本にわたってきて、祈りで穀物の魂を増やそうとするようになる。

祈りの場としての斎場、神事、祭りごと(ハレ)が始まる。稲妻と書く理由は、雷雨で稲(穀物)が子種を宿すと考えていたから。現代は食べ物があふれているが、感謝することが少なくなっている。

 

今の自分を認めろ

日々自分は今を生きている。言い換えると日々生きる表現をしている。引きこもりも生きる表現だ。天照大神も引きこもったではないか。飽きるほど引きこもればいいんだ。今の自分を認めなさい。家族もそれを認めなさい。日常の暮らしから気づきなさい。

 

ヒトと人間

カタカナのヒトは自然の状態、動物の状態。古代は漢字がなかったから、音で意味を考えるとよい。

ヒは日、火、霊とも書けるし、トは泊とも書ける。霊泊がヒトとすれば、ヒトは魂そのもの。死は体から魂が抜けると考えられていたので、死体は山裾に捨てていた。ヒトは自然そのもの、体が喜んでいる状態。そこに思考が入って人間になった。

つまり、人間の中にヒトが潜在化しているのだ。一人の中にヒトと人間が混在している。最近経営者のセミナーに最近呼ばれることが多い。経営者は多くの決断をしなくてはならない。考えていたら怖くて決断はできない。直感で決断するのだ。

そこで、「ヒトで決めて、人間でやれ」とセミナーで語った。魂は無意識(とっさ)の世界。魂を思考で説明する人はわかっていない。

 

現代人はそこが足りない。山伏の伏すは人が犬になると書く。

思考を働かさず、直観で生きる世界。今海外ではやりのmindfulnessやtrail runを千年以上も前から山伏はやっていたのだ。頭で理解する知識は使い物にならない。

物事が腑に落ちる、つまり体に入ることが大事。わかろうとしてわかるのではなく、わかるときは気づくのだ。

 

あいまいで良いのだ

日本には四季がある。夏から次の日に秋になるわけでない。

それぞれの季節の間にあいまいな時期があり、あいまいな自然環境の中で我々は暮らしている。

だから神社と町の間に参道があり、食べ物屋やお土産屋の俗を通って鳥居の先の聖なる空間へ行く。参道はあいまいな空間。

キリスト教会は扉を開けたら突然俗から聖に変わる。

日本家屋にも中でも外でもない、あいまいな縁側がある。

西洋は白黒、イエスとノーをはっきりしたがるが、日本ではあいまいさによって人を追い込まないし、それが心地よい。

 

トップは女性が良い

女性は本質的に野生性(ヒト)が強い。だから女性をトップにするのが良い。

ただし、男社会に合わせて女性性を捨ててはいけない。

 

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