去る12月3日日曜日に東地区公民館にて佐伯市民大学(後期)第6回講座を実施しました。タイトルは「新スローイズビューティフル」で、講師に文化人類学者の辻信一先生をお招きしました。以下は、講義の要旨です。
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動物行動学者のジェーン・グドールは人類の未来に希望はあると言っている。その理由をこれから探ってみよう
目次
僕のストーリー
ナマケモノという動物は一日の3分の2は寝ていて動かない。高い木の上にいるので、動くと猛禽類に見つかり捕食されるからだ。役に立たない動物のように見えるが、先住民はナマケモノが空を支えていると表現する。このスローなナマケモノを守るために森が守られる。自分はコスタリカで保護されたナマケモノの里親でもあり、スローライフを念頭にナマケモノ倶楽部を作って22年になる。これまで「弱さの思想」「雑の思想」「間の思想」「ムダの思想」などの本を書いてきた。無駄というものを改めて見つめていると何かが見えてくる。
ムダの哲学
無駄は役に立たない、非生産的、効率が悪いといった良くない常識を疑ってみよう。楽しい団らんは無駄話から成り立っている。我々は不要なものを処分する能力を学校で身につけてきた。優性主義の根っこには「無駄を省く」という功利主義がある。むしろ「役に立つ」を疑ってみよう。ドイツの哲学者ハンナ・アーレントは『人間の条件』で、「目的はしばしば手段を正当化する」と警告を鳴らす。例えば経済発展という終わりのない目的のために、今を犠牲にしてきている。目的―手段の鎖を外して自由になろう。目的の奴隷になってはいけない。狩猟採集民は動物のようにいつも食べ物を探してがつがつしていると思われがちだが、彼らは一日に3-4時間しか労働せず、のんびり暮らしている。無駄に見える事の中に大切なことがある。縄文土器の縄文模様は器にとっては何も役に立たないが、非常に美しい芸術。ムダの哲学とは、結果にこだわることをやめて自由になること。「行いを捨てるな。その行いの果実への欲求を捨てよ」(バガバッド・ギータの教え)「無為:何かのために為すなかれ」(荘子)
「わからない」に希望がある
新型コロナウィルスもワクチンもそうだが、人生のほとんどは答えのない事態で占められている。わからないことに耐える力をnegative capabilityと呼ぶ。逆に学校はわかるようにさせる所。「怠ける、休む、遊ぶ」はとても大事。聖書も天地創造の7日目に休みを作った。休む日は聖なる日であり、再生と存在(being)のためにある。
ホリスティック サイエンス
人も生き物も、どちらが優れていて、劣っているかではなく対等。何億、何兆という菌が人の体を支えていることを思い出そう。この世界では、すべてのものが網の目のようにつながり合い、互いに依存し合い、支え合っている。岩、土、川、海、空気、そしてすべての生物は絶妙に絡み合って、この地球に参画し、そして見事な調和をつくりだしている。その調和は、 地球が魂をもった一種の生命体であることを示している(ガイア思想)。世界でリジェネレーション(再生思想)が注目されている。生命は自ら更新し、循環していく。存在そのものの豊かさを再認識すること。不耕起の大地再生農業なども広がっている。
愛とは時間を無駄にすること
一人一人の命が奇跡。時間は自分が使うためにあるのではなく、他者と共有するためにある。スローライフとは共に時間を過ごすこと。時間・空間・人間は みな「あいだ」でできている。星の王子さまにサバクキツネが語る。「君がバラを大切に思うのは、そのバラの花のために時間を無駄にしたからさ」。人類の未来の希望がここにある。
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