去る11月20日(日)の佐伯市民大学第11回講座、内山節著「『民主主義を問い直す』に学ぶ」の報告は以下の通り。
目次
講義内容のまとめ
現在の民主主義は民主王朝制
すなわち政権自体は選挙で選ばれるが、選ばれた政権は王朝的権力を確立する。
一番の問題は国家権力が大きすぎることにある。その源流は絶対王朝の強い中央権力体制を引き継ぐ形で民主的に政権を選ぶ制度に切り替えたヨーロッパにある。
こうして西欧から生まれた民主主義の理念は矛盾を抱えており、実現できそうにもないが、旗を降ろすとまずいので旗は掲げ続けている。
実現不可能な民主主義
そもそも20世紀中盤ぐらいまでは民主主義は実現可能に思われた。なぜなら先進国が世界の富を独占し、その富で豊かになった人々が平等と自由を享受し、あたかも近代の理念が実現するような時代を作っていったからだ。
ところが1970年以降、その構図は壊れ、経済も社会も不安定化すると「建前を捨て、本音で生きよう」という人々が増え、いわゆる非民主主義的な右翼政党が力を持ってきた。
今後は近代の理念や政治・社会システム等々が未来を提示できなくなり、世界は徐々に分解と混乱を深めていくだろう。
日本での伝統回帰の動き
そういった世界情勢の中で、日本では伝統回帰の動きがあり、例えば自然信仰(修験道、山の神、水の神等)に関心を持つ人も増えている。
そうした自然信仰とは、人々が自然と関わりながら暮らす中で持ついろいろな思いや願いに他ならない。
全国で共同体(コミュニティ)を作ろうという動きもある。(内山氏が住む)上野村では経済発展ではなく労働体系をしっかりすることを目指し、「地域全体でどう生きるか」という発想を軸に外部とのつながりを大切にしている。
これからは自然との関係に戻り、共同体の世界に戻り、様々な結びつきが成り立っている農村に戻るプロセスが「新しい村づくり、農村づくり」となる。
機能的合理性を超えて
日本社会は「自然と生者と死者」で成り立つ。
日本の伝統的発想は「本質的なものは実体でなく関係である」ということ。死者の魂の実体の可否はどうでもよく、死者との関係を通して我々は社会を作り、関係が結ばれる以上死者は存在することになる。
まず関係が先にあり、その関係を通して自分も他者も生きている。この関係を作る過程のための「場」が大事であり、場があってこそ関係が生まれ、関係があるから場が生まれる。
今からは機能的合理性を超え、理屈ではなく、自分がどういう世界で生きていきたいのか、ということが大事。
そして、海外や国内事情に振り回されることなく、企業も、農業も、人間も、どういう根の張り方をして持続性を確保するか、そのことを考えなくてはいけない時代に移ってきた。
グループワークのまとめ
共感した部分を書き出したところ、かなり多様性に富む結果だったが「関係性を大事に・関係の中で生きていく」「伝統回帰」「どこに根を張るか」という部分の共通点を確認した。
質問は今回と10月の分を整理し、12月の講座で内山先生にいくつか質問できるようにしたいと思う。
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